戦前の頃、祖母が子供の頃の話

一昨日の2017年6月7日、

岡山県高梁市川上町にある、

88歳の祖母の家に行ってきたのですが、

 

(下は先月に行った時の記事。

暖かい時期の弥高山はこういう風景が見れます)

 

 

tatsuyakawakami.hatenablog.com

 

 

 

今回、雨が降っていて外にはあまり出ず、

(晴れてると井原や神石高原までドライブしたりする)

昼寝して祖母の話をずっと聞いていた感じなんですが、

祖母の子供の頃の話を少し聞いたので、

それを書いてみようかと。

あまり長くはならないはず。

 

祖母は男1人・女5人の6人兄妹で、

祖母のお母さんは祖母が10歳の時に死んでしまったとのこと。

また、祖母の妹も1人、子供の頃に亡くなってしまったそうです。

祖母のお父さんは5人の子供を1人で育てていて、

祖母は妹たちのおしめを替えたりとか、

面倒を見ていたとか。

 

で、昔の家(1935年当時)は今と違ってよく停電したらしく、

夜に停電すると暗くて怖くて、

家に入れなかったそう。

子供だったからともありますが、

山の中の田舎の家だったので、

生まれた家でも不気味だったのかも。

「何かいるんじゃないかと思った」とも祖母が言ってましたね。

 

でまあ、日が暮れるまで兄妹5人で並んでお父さんが帰ってくるのを、

待ってたそう。

戦前の山ばっかりの土地で明かりも少ない中、なんだかこの情景を思い浮かべると、

戦前の子供の風景というか、

切ない気持ちになったんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、終戦を迎えた頃、

妹さんが倉敷の看護の専門学校だったか学会だったかそんな所に行き始め、

その流れで神戸の方に行ってしまったとか。

他の妹さんたちもそのつてで神戸に行ってしまったとかで、

そのせいか、うちの親戚は兵庫県にやたら多いんですよね。

神戸とか明石とか高砂とか。

僕も子供の頃神戸によく連れて行ってもらいましたが。

 

あと、思ったのが、

なんというか、88歳になっても、

子供の頃の記憶ってあるというか、

忘れずに覚えているんだなと思って。

ていうのも、祖母が子供の頃の情景が鮮明に頭に思い浮かべられたので、

なんだか不思議な気分になって。

自分が88歳になった時のことを少し想像したりしてしまいました。

 

いや、本当はもっと話を聞かされたんですが、

2・3時間も話を聞かされて、

全部の話を覚えてるわけがない。

ていうか、疲れました(笑)

 

しかしまあ、断片的ではありますが、

戦前の話を聞ける機会ってあまりなくて、

ブログに書いておくのもいいかもしれないと思って。

また面白い話が聞けたら書こうかと思っています。

 

それでは、ここまで読んでくれてありがとうございます。